絹のはしご ヴェネチアオペラ

絹のはしご La scala di seta

 

作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ

台本:ジュゼッペ・フォパ

 

全1幕:パリ郊外のドルモン邸

ジュリアはドルヴィルと密かに結婚していた。しかしジュリアの後見人ドルモンはジュリアを彼女の夫の旧友であるブランザックと結婚させようと考えていた。ドルヴィルは後見人ドルモンの目を盗んでは、毎夜、時には昼間でもジュリアが彼女の部屋から降ろす縄梯子(絹のはしご)を使い、密会を重ねていた。

幕が上がるとジュリアの部屋。召使いのジェルマーノが花嫁の心得をあれこれ言うがジュリアは上の空。従姉妹のルチルラが後見人のブランザックが来るようにと呼びに来るが、イライラして追い返す。それもそのはず、今も隣の小部屋に夫のドルヴィルを隠していたのです。二人は今日も夜中12時の密会を約束をして、ドルヴィルはこの「絹のはしご」で帰っていく。ドルモンとルチッラが登場。ルチッラは実はブランザックに想いを寄せていたので、ジュリアとブランザックの結婚話に落胆する。ジェルマーノがブランザックの到着を伝え、ドルモンとルチッラは出迎えに行く。ジュリアは後見人ドルモンの結婚話から逃れるためには、ブランザックにルチッラを押しつけるのが良いと考え、まず召使いのジェルマーノに気がある素振りをしてプランザックとルチッラを監視するよう命ずる。

一方、ブランザックはドルモン邸の近くで偶然旧友のドルヴィルに出会い、ドルヴィルを結婚の証人として連れてきた。ドルヴィルは後見人の言うなりになるような娘、つまり自分の妻との結婚は止めたほうがよいと忠告するが、ブランザックは口説き落とせると自信満々。それを見ていてくれとドルヴィルを陰に隠す。召使いのジェルマーノもまた陰で様子を伺っている。ジュリアが現れブランザックは熱烈に口説くが、彼女はのらりくらりと答え、気があるやら、ないやら…この様子に隠れているドルヴィルも苛立つ。さらにこれを見張っていたジェルマーノが飛び出してきて、ドルヴィルを引っぱり出してしまう。ドルヴィルはジュリアに皮肉をいい。三人ともジェルマーノに怒りをぶつける。一人になったブランザックのところへルチッラがやってくる。ブランザックはルチッラの美しさに惹かれ、早速口説きにかかる。ルチッラも前々からブランザックを想っていたのだから喜びを隠せない。二人が退場しジュリアが現れる。彼女は夫のドルヴィルと先ほど交わした、今夜12時の密会の約束を一人つぶやく。それを物陰で聞いていたジェルマーノはジュリアがブランザックと逢引するものだと早合点してしまう。早速ブランザックに、今夜12時にジュリア様があなたをお待ちですと伝えると、ブランザックは大喜び。ジェルマーノはルチッラにも今夜密会があることを告げ、二人はそれを見ようと物陰に隠れる。

夜中の12時。ジュリアがいつものように窓から「絹のはしご」を降ろすと、早速、夫のドルヴィルが上って来る。これを隠れて見ていたジェルマーノはびっくり。そこにドアをノックする音。ジュリアから誘われたと勘違いをしたブランザックがやってきた。ジュリアはあわてて夫を化粧室に隠す。彼女はブランザックを怒るが、「絹の梯子」がかかっていることを知られてしまい、困ってしまう。その時、「絹のはしご」を見つけた後見人ドルモンが、これは何事かとその「絹のはしご」を昇ってくる。そこいるジュリアとブランザックを見て、これは好都合、このままここで結婚式を挙げようと宣誓台を準備するが、その下に隠れていたジェルマーノが見つかってしまう。さらにルチッラとドルヴィルも出てきてドルモンは大混乱。観念したジュリアはドルモンにドルヴィルとの結婚証書を見せ、ドルヴィルと結婚していたことを告白し許しを乞う。烈火の如く怒るドルモンだったが、ブランザックがルチッラと結婚すると言い、ついに折れて、二組のカップルの結婚を承諾してめでたしめでたし。(幕)

プログラムとキャスト

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SEP 2019 Next

フェニーチェ劇場

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

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