エルナーニ ヴェネチアオペラ
MAR 2023 | ||||||
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エルナーニ
作曲:ジュゼッペ・ヴェルデ
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
初演: 1844年3月9日、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場
あらすじ
時代: 1519年、カール5世即位直前
第1幕
第1場
山賊たちの巣窟、夕暮れ時。配下の者たちが飲みかつ歌っている中で、頭目のエルナーニは悩んでいる。明日になれば彼の恋人ドンナ・エルヴィーラはその伯父であるシルヴァ老人と結婚させられてしまう。部下の山賊たちは彼を励まし、総員でエルヴィーラを居城から誘拐することに決定する。
第2場
同夜、エルヴィーラの居室。彼女もエルナーニが自分を救出してくれると信じている。ドン・カルロ(スペイン王)がお忍びで登場する。彼はエルヴィーラに自分の熱愛を告げ、彼女を強引に連れ出そうとする。そこへエルナーニが登場、彼はカルロを国王であると見抜き、国王によって家名断絶したと考えていることから敵愾心をより燃やす。カルロの方は、山賊エルナーニの素性までは知らない。2人の争いがエルヴィーラの仲裁で収まった刹那、老人シルヴァも現れる。シルヴァは、エルヴィーラの居室に2人までも若い男性がいることに驚き、城内の部下を集め2人を手討ちにしようとするが、そこに現れた従者ドン・リッカルドがカルロ王の素性を明かし、(エルナーニ、エルヴィーラ以外の)一同は驚愕する。カルロは恥じ入るシルヴァを赦免してやり、またエルナーニを自分の従者の一人であるかの如くシルヴァに言って、エルナーニの命も救ってやる。
第2幕
シルヴァとエルヴィーラの婚礼の日。修道士に変装したエルナーニが訪ねてくる。シルヴァはこの見知らぬ客も寛大に迎えてやる。シルヴァが席を外している間にエルヴィーラは、今でもエルナーニだけを愛していること、このまま婚礼となれば自分は新床で喉を突いて死ぬ覚悟であることを打ち明け、2人は抱擁する。そこへ戻ってきたシルヴァは自分が侮辱されたことを知り激怒、今度こそエルナーニを手討ちにしようとするが、そこへカルロが軍勢を率いて城へ攻め入ってくる。カルロは山賊エルナーニを追って来たのだ。シルヴァは(自分ではエルナーニを討とうとしたものの)城に乱入した軍勢に城の客人を引き渡すことは貴族としての誇りが許さない、としてエルナーニを秘密の小部屋に匿ってしまう。怒ったカルロはエルヴィーラを人質として連れ帰る。残されたシルヴァとエルナーニは、まず倒すべき共通の敵は国王であると協同を誓う。エルナーニは、身柄を匿ってくれたことをシルヴァに感謝し、自分の角笛を命を預けた証拠として渡す。「この角笛が鳴るとき、エルナーニはたちどころに死ぬであろう」と約束して。
第3幕
アーヘンの大聖堂内、カール大帝(シャルルマーニュ)の墓室のある地下室。カルロは皇帝選挙の結果を待ちわびているが、謀反の企てがあると知り自らカール大帝の墓室に身を潜め、謀反人たちを一網打尽にする積りである。予想とおり陰謀者たちが入って来、その中にはエルナーニとシルヴァもいる。大聖堂の外からカルロが皇帝が選出されたことを知らせる3発の砲声が轟く。同時にカール大帝の墓室の大扉が開き、人影が現れるので反乱者一味は「カール大帝が生き返ったか」と驚く。人影、すなわちカルロは「反乱者よ、自分こそカルロ5世である」と名乗る。カルロの皇帝選出を祝賀する一団が聖堂内に入場、カルロは反乱者たちを逮捕し、公爵から伯爵までは斬首を、それ以下の者は監獄送りを命じる。エルナーニは、自分もアラゴンの元貴族家出身のドン・ジョヴァンニであると身分を明かし、仲間とともに死を賜りたいと願う。カルロもそれを聞き入れる。エルヴィーラがカルロに駆け寄りエルナーニの赦免を嘆願したとき、カルロは、この墓所に眠るカール大帝の遺徳、すなわち慈悲の心を自分も受け継ぐのだと考え直し、陰謀者一同を即座に放免、エルナーニには貴族としての家名復活とエルヴィーラとの結婚を認める。一同はカルロ新皇帝の慈悲を賞賛するが、カルロへの反乱も潰え、結婚するはずのエルヴィーラも失ったシルヴァだけはひとり苦汁を嘗める。
第4幕
いまや貴族に復帰、「アラゴンのドン・ジョヴァンニ」と称せられるようになったエルナーニとエルヴィーラの婚礼の日、人々は祝宴で歌い踊っている。遠くから角笛の音が響き、エルナーニだけがその意味に気付き青ざめる。シルヴァが登場、死の約束を果たしてもらおうと詰め寄る。エルヴィーラはシルヴァに助命を懇願するが、復讐の鬼と化した彼は聞く耳をもたない。遂にエルナーニは自刃し、エルヴィーラに自分との愛を覚えていて欲しい、と遺言して果てる。
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
エルナーニ:Piero Pretti
ドン・カルロ:Ernesto Petti
ドン・ルイ・ゴメス・デ・シルヴァ:Michele Pertusi
エルヴィーラ:Anastasia Bartoli
ジョヴァンナ:Lo Greco
ドン・リッカルド:Cristiano Olivieri
ヤーゴ:Francesco Milanese
フェニーチェ劇場管弦楽団
指揮:Riccardo Frizza
合唱指揮:Alfonso Caiani
演出:Andrea Bernard
舞台:Alberto Beltrame
衣装:Elena Beccaro
照明:Marco Alba
*出演者等は変更となる可能性があります*
フェニーチェ劇場
フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。
イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。
ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。
サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。
サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。
サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。
グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。
なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。
輸送
水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ
ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ
停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る
マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る
入り口
フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口
エレベーター
ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。
アクセス
劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。