ヴォツェック

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OCT 2025

 

あらすじ

ビューヒナーの戯曲は、1821年に実際に起こったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックという名の元兵士の情婦殺人事件をもとに書かれている。貧しい床屋上がりの兵士が、鼓手長と通じた内縁の妻マリーを殺すという陰惨な内容の物語である。

 

第1幕

第1場 大尉の部屋、早朝

床屋上がりの兵士ヴォツェックが大尉の髭を剃っている。ベートーヴェンの「田園交響曲」そっくりなリズムが指導動機的に活用される。大尉はヴォツェックに「ゆっくりやれ」と命令し、結婚しないで女に子供を産ませたことを非難する。黙って聞いていたヴォツェックだが、「自分のような貧乏人は道徳的に子供を作れといわれたってできやしないんです」と食って掛かる。これに辟易した大尉は髭剃りを終えたヴォツェックに対し「落ち着いて、ゆっくりな」と言って帰す。

第2場 郊外の野原、夕方

ヴォツェックが仲間の兵士アンドレスと一緒に大尉の杖を作るために木を切り取っている。ヴォツェックは「ここは呪われている。足の下で何かが動き回っているのが聞こえないか?」とアンドレスに言い、この場から去ろうとすると太陽が沈み、辺りは真っ暗となる。 「火だ、地から天へ燃え上がり、天からラッパの響きが聞こえる。静かだ、全てが死んだようだ」と口走るヴォツェックをアンドレスが連れ去って行く。

第3場 マリーの部屋、夕方

マリーが子供をあやしていると、軍楽隊がやって来て先頭を歩く鼓手長がマリーに挨拶をする。これに親しそうに答えるマリーを見て、隣に住むマルグレートが嫌味を言う。これに腹を立てたマリーが窓を乱暴に閉め、子供に子守唄を歌い始めると窓を叩く音。マリーが窓を開けるとヴォツェックが立っており、「すべては灼熱の中に燃えた。すべてが真っ暗だ。そいつは町の入口まで俺の後を追ってきた」と訳のわからないことを口走る。落ち着かせようとマリーは子供を抱かせようとするが、ヴォツェックは子供を見ようともせず急いで立ち去る。

第4場 医者の書斎、午後

ヴォツェックは生活費の足しにしようと医者の生命実験体となっている。今週は咳をせず、豆しか食べてはいけないという指示を出している医者は、咳をしたところを見たと言ってヴォツェックを叱責し、来週は羊の肉しか食べてはいけないという指示を出すが、ヴォツェックは「太陽がまだ真昼に輝いている時に世界が燃えるようになって、恐ろしい声が俺に話しかけてきた!」などと言い始める。「局部性精神錯乱の第2種だ、はっきり出てきた」と自分の実験の成果が出てきたことを喜ぶ医者は「名声は不滅となる」と恍惚として叫ぶ。

第5場 マリーの家の前の通り、夕方

鼓手長を感心したように眺めていたマリーは「凄いわ!」と褒めながら近づく。鼓手長が「お前もいい女だ!鼓手長の訓練をしてやろう」と言ってマリーを抱く。はじめは拒むマリーだが、激しく抱く鼓手長に「どうでもいいわ、結局は同じなんだ」と言って、ふたりで家の中に入る。

 

第2幕

第1場 マリーの部屋、朝

マリーは子供を膝の上に乗せ、鼓手長にもらったイヤリングをつけ、鏡の欠片に映る自分の顔を見て「金持ちの奥さんたちと同じように自分の唇は赤いわ」と呟いている。そこに入って来たヴォツェックはイヤリングを見て「そこにしているのは何だ?」と訊くが、マリーは「拾った」と嘘をつく。納得できないヴォツェックだが、マリーに大尉、医者から貰った給料を渡して出ていく。マリーは自分が悪い女と責める。

第2場 町の通り、昼

急ぎ足の医者に「そう急ぎなさんな」と大尉が声をかける。「このところ急死する人が多いので忙しい」とその理由を話す医者は大尉に「4週間で脳卒中を起こす」と宣言する。これを聞いて大尉がショックを受けているところにヴォツェックが足早に通りかかるので、医者が呼び止める。落ち着きを取り戻した大尉はヴォツェックに「お前のうちの料理に男の髭が入っていなかったか?」と訊ね、マリーが鼓手長と良い仲になっていることを仄めかす。察しのついたヴォツェックは「神様、いっそ首を絞めてしまったら俺の気持ちも人に分かるだろう」と言って、足早に去っていく。

第3場 マリーの家の前、昼

マリーが戸口に立っていると、ヴォツェックが急ぎ足でやって来て、マリーをじっと見つめ「お前の唇は何て美しい」と言ってから、戸口の一角を指して激しく「そこだ!男はそこに立っていたのだ」と言い、「あばずれ女め」と手を振り上げる。しかしマリーが「私に触れないで」と叫ぶので、ゆっくり手を下ろすヴォツェック。マリーは「手でぶたれるより、ナイフで刺されたほうがましだわ」と言って家の中に入っていく。マリーをじっと見送ったヴォツェックは「ナイフのほうがましだと」と呟く。

第4場 酒場の庭、夜

楽隊がレントラー舞曲を演奏し、若者、娘、兵士たちが踊っている。入って来たヴォツェックはマリーが鼓手長と体を寄せながら踊っているのを見つけ、腹を立てる。そして二人のほうに向かおうとするが、その時踊りが終わるので座り込んでしまう。アンドレスに声をかけられるが、取り合おうとしないヴォツェック。そこに現れた愚者が「血の臭いがする」と言う。「目の前が赤くなる」と呟くヴォツェック。

第5場 兵営の衛兵室、夜

兵士たちが眠っている。だが眠れないヴォツェックはアンドレスに声をかけるが、相手にされない。そこに鼓手長が陽気に帰ってきて、「俺には女がある」と言い、その女がマリーであることを仄めかすので、ヴォツェックと取っ組み合いとなる。ヴォツェックはねじ伏せられるが、鼓手長は手を離して意気揚々と出ていく。「順々にひとりずつか」と呟くヴォツェック。

 

第3幕

第1場 マリーの部屋、夜

そばに子供を置いてマリーは机に向かって『聖書』を読んでいる。「ヨハネ福音書」第8章「姦通の女」のところを読んで神様に祈り、「ルカ福音書」第7章の「罪深い女を赦す」を読んで「私を憐れんでください」と、神様に祈るマリー。

第2場池のほとりの小道、夕暮れ

マリーと連れ立ってヴォツェックがやって来て、腰を下ろす。「お前は善人か、貞節か?」とマリーを責め立て、「なんてかわいい唇をしているんだ」と言ってヴォツェックはキスする。昇ってきた月を見て「血塗られた剣のようだ」と言ってヴォツェックはナイフを抜き、マリーの喉を突く。「助けて」と叫ぶマリーだが間もなくして絶命する。怖気づき走り出すヴォツェック。

第3場 居酒屋、夜

ポルカ・シュネルにのって娼婦や若者たちが踊っている。ヴォツェックはマルグレートに「こっちに来て座れよ」と声をかけ、歌をうたわされる。「今日は暴れたいんだ」と言うヴォツェックの手や腕に血が付着しているのを気づくマルグレート。「怪我をしたんだ」とその場しのぎで言い訳をするヴォツェックに、周りに集まってきた娼婦や若者たちは「これは人間の血の匂いがする」と騒ぎ出す。その場から逃げ出すヴォツェック。

第4場 池のほとりの小道、月夜

池によろめくようにやって来たヴォツェックは、殺人がばれたらたいへんとナイフを捜し回り、マリーの死体に躓く。「どうしてお前は首に赤い紐を巻いているのだ」と言うが、すでに彼は理性を失っている。ヴォツェックはやっと見つけたナイフを池に投げ入れるが、「これでは近すぎて見つかってしまう」ともっと遠くに投げようと池に入り、そのまま溺れてしまう。通りかかった医者と大尉は池のほうで物音がするのに気づき「誰かが溺れているようだ」と言うが、すぐに静かになると気味悪がってその場から立ち去る。

第5場 マリーの家の前、朝

子供たちが遊んでいる。そこにやって来た子供が、木馬に乗って遊んでいるマリーの子供に「君のお母さん死んだよ」と言う。子供たちはマリーの死体が置いている池のほうに走り去る。

プログラムとキャスト

ラ・フェニーチェ管弦楽団 & 合唱団
指揮 マルクス・シュテンツ
合唱指揮 アルフォンソ・カイアーニ
演出 ヴァレンティーノ・ヴィラ

 

ヴォツェック ロベルト・デ・カンディア
マリー リディア・フリドマン

フェニーチェ劇場

 

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

Ufficio stampa Teatro La Fenice
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